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事業承継・・・その2

  1. 鈴印と人
  2. 184 view

昨日のBlogで事業継承について、さわりの部分を書きました。
ざっくりまとめますと、鈴印では役割分担がはっきりしていて、親父が社長業・母が経営業を担当。

そして親父の入院の間、私が社長代理として1ヶ月間お店を任され、社長として最も大切な「決断」する経験ができたトコまで書きました。

昨日のBlogはこちらから


 
最初は戸惑うばかりの代理社長業でしたが、1ヶ月もすると徐々に慣れ、その内楽しさも見いだせる様になってきました。
その際に一番意識していたのは”親父が戻ってきた時に文句を言わせない”でした。
一緒に仕事をしていて褒めてもらった事などほとんどなく、教えてもらうこともほとんどありませんでした。
いつも怒鳴られるだけ・・・
だから私の日々の最大のモチベーションは”親父に文句を言われないようにする”でしたからね。
戻ってきた事を常に想定しながら、お店を荒らす事なく維持しなければ・・・
実はこの考えがそれ以降今までに続く、歴史の継承の第一歩となっていたのです。



予定通り無事退院。
そしてそれまで私の最大の目標でもあった”戻ってきた親父に文句を言わせない”は、初日にモノの見事に打ち砕かれました(笑)
入院中の私の残した足跡を全てチェックするなり「これ、こんなんじゃダメじゃねーか!」
「これはもっとこうだろ!」「何やってたんだ一体!」

私も自分でも分かってたんです、指摘されるであろう事は。
でもあまりの忙しさにそこまで細かい部分まで神経が行き届かないだろ、なんて思いもありました。
親父はそういった細部のチェックまで常に恐ろしく厳しかったですから、やはり見逃す訳がないですよね。


この期間も大変実りのある時間でした。
自分で任されて、自分で考え、自分で出した答えの間違ってる部分の徹底的な修正。
この経験が後の私にどれほどプラスになっているか計り知れません。 

ま、その時はとんでもなく大げんかになりましたけど(笑)
 


そして親父が入院していた事も、ましてや私が社長代理をやっていた事など、まるで夢であったかのように親父という社長がドンと構える日常が戻りました。


でも一度味わったしびれるような「社長」という体験はなかなか忘れられるモンではありません。 
その日以来、私も常に仮想決断をしてましたからね、親父の下す「決断」との違いが徐々に耐えられなくなり、どんどん仲も悪くなって行きました。
 


そんなお互いのエゴとエゴがぶつかり合っていがみあってるようなある日、鈴印の歴史上最大の試練が訪れました。



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ある冷たい雨が降る日曜日の深夜0時頃、突然私の携帯が鳴りました。
着信相手を見ると、意外にも親父でした。
「なんだよ、休みなのにうるせーな・・・」と思いながらもなんか嫌な予感がして出てみると
 
「大変だ!お母さんが倒れた!」

訳も分からずダッシュで実家でもあるお店に駆けつけるとそこには、横たわる母。
既に親父が呼んでいた救急車が間もなく到着し、病院に直行。
そしてその診断結果を聞いて愕然とします。 

「原因は脳出血です。全身に麻痺が残り、最悪車椅子生活を余儀なくされるでしょう。状況にもよりますが、普通に歩いて生活する事は困難と思われます。」

全てがあまりに突然の出来事で、よく理解できないんですよね。 
しかも翌日から1週間が始まります。
ほぼどうしていいかも分からずに朝の4:00、親父と2人で病院を後にしました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



翌朝いつも通りお店を開けいつも通りの営業が始まるのですが、お店の一番の要の母がおりませんから、もう何かどこにあるのかすら分からない状況なんです。

親父は私を”親父の変わりになる人間にする”事が目的でしたので、職人としての道を歩んできましたが、私は経営の勉強は何1つしておりませんでした。
もちろん親父も普段は経理の事は母に任せておりましたので、お金の事はさっぱり分からず。


でもお店を開ければお客様がいらして、お金を頂きます。
しかし誰もその扱いをどうしていいのか分からない・・・
母がいつ退院できるのかも、そして果たして退院できるのかも分からない状況。



その夜、今後の方向性を決めるべく、久しぶりに親父と近所の居酒屋さんで飲みました。

失意に打ち拉がれる親父からは明確な方向性は示されず、不思議とそんな姿を見ると心の底からエネルギーが湧いてくるものなんですね。

私から一言「俺、経理やるよ。」

私も大学の経済学部は出させてもらいましたが一度も簿記には出席せず、でも出席率は100%でしたので(笑)奇跡的に単位も取得でき・・・その事をこれほどまでに後悔した事はありませんでしたよ。
 


こうして私の現在に至る、経理つまりは経営業への道が思いもよらぬ形で始まりました。
元々数学は常に赤点、大学も英語と国語で入学、しかも簿記の授業にも1回も出なかった私でしたから、そこは想像を絶する苦難の連続。



ちなみにこの時から数年に渡り、お店の売り上げは恐ろしい程下降の一途を辿りました。




だいぶ長くなってきましたので、つづきはこちらから・・・

※ご心配されるといけませんので先に書いておきますが、母はその後半年で無事退院しました。
左半身の麻痺は未だ残っておりますが、なんとか自分の足で歩け、現在は元気にお店にも出ております。 




 

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鈴印

〜印を通してお客様の価値を高めたい〜

鈴木延之
代表取締役:株式会社鈴印

1974年生まれ。
A型Rh(+)

1932年創業、有限会社鈴木印舗3代目にして、現プレミアム印章専門店SUZUIN代表取締役。専門店として、印章(はんこ)を中心としたブログを毎日発信。本業は印章を彫る一級印章彫刻技能士。
ブログを書き出したきっかけは、私の親父が店頭で全てのお客様に熱く語っていた印章の価値や役割そして物語を、そして情報が散見する中で印章の正しい知識を、少しでも多くのみなさまに知っていただきたいから・・・
だったのに、たまに内容がその本流から全く外れてしまうのが永遠の悩み♡

一級印章彫刻技能士
宇都宮印章業組合 組合長
栃木県印章業組合連合会 会長
公益社団法人全日本印章業協会 ブロック長

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